片手袋研究は光合成に近い説

 

 

 

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つい先日、片手袋研究家・石井公二さんとのトークライブ「片手袋のうら・おもて」をやった。

道に落ちてる手袋を十数年撮りつづけて石井さんが、普段考えてることを話すトークライブ。

 

自分は司会進行とトークの受け手だった。

前半は「100%共感できる~。だけど、お客さんとの中継役をしなきゃね!」って意識でポジションとってたけど、後半は初耳の話しも多くて、普通に分かりそうで分からなくてむちゃくちゃ頭使った。

 

 

 

 

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「片手袋のない景色こそ、片手袋的だ」と主張する石井さん。

こんなの禅の公案だ。

 

「両手を打つと音がする。では、片手ではどんな音がするか」と問われているようだ。

問うてる石井さんすら明確な答えを持っていない。

会場のみんなで謎を解いてる雰囲気が楽しかった。

 

 

 

 

まあ、参加した方型の感想はトゥギャッターにまとめたので、上のリンクから見てください。

 

 

 

片手袋研究は光合成に近い説

 

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で、こないだ話そうと思ってて、話せなかったことがある。

「片手袋研究は光合成に近い説」だ。


新しい視点を得られるのが楽しくって、ここ最近は植物の本ばっかり乱読している。

『光合成とはなにか―生命システムを支える力』って本を読んでるときに、ピンッときた。

 

「あ、これ片手袋研究のことじゃん」って。

 

 

どういうことなのか。

 

 

もちろん光合成ってのは、太陽光のエネルギーをつかって、二酸化炭素と水から炭水化物をつくる行為だ。

 

人間ふくめて生物が「栄養にできない無機物を、栄養にできる有機物」に変えちゃう。

植物、ヤバい。

光合成のビフォー・アフターで劇的な質の変化が起こってる。

 

 

 

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片手袋研究も同じ。


道に落ちてる片手袋は、どれだけ目にとまろうが、普通の人は知的栄養物として摂取できない。ゴミだし、たんに通り過ぎだけの風景だ。

 

 

 

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でも、石井さんという知の巨木が、太陽光エネルギーよろしく片手袋を集めると、そこに1つの体系が生まれる。

 

こうなれば、我々、一般生物も知的栄養物として摂取できる。

これを起点に知的活動がスタートできる。

 

片手袋研究による、摂取不可能な「道ばたの知的無機物」から摂取可能な「知的栄養物」への変化。
これは光合成に近い、劇的な質の変化だとおもうんです。