片手袋研究は光合成に近い説
つい先日、片手袋研究家・石井公二さんとのトークライブ「片手袋のうら・おもて」をやった。
道に落ちてる手袋を十数年撮りつづけて石井さんが、普段考えてることを話すトークライブ。
自分は司会進行とトークの受け手だった。
前半は「100%共感できる~。だけど、お客さんとの中継役をしなきゃね!」って意識でポジションとってたけど、後半は初耳の話しも多くて、普通に分かりそうで分からなくてむちゃくちゃ頭使った。
「片手袋のない景色こそ、片手袋的だ」と主張する石井さん。
こんなの禅の公案だ。
「両手を打つと音がする。では、片手ではどんな音がするか」と問われているようだ。
問うてる石井さんすら明確な答えを持っていない。
会場のみんなで謎を解いてる雰囲気が楽しかった。
本日おこなった片手袋研究家・石井公二さんとのトークライブ「片手袋のうら・おもて」の感想ツイートをまとめました~!!https://t.co/IYf4jZVNp1 pic.twitter.com/rszvc5KXAT
— 東京別視点ガイド (@another_tokyo) 2018年2月12日
まあ、参加した方型の感想はトゥギャッターにまとめたので、上のリンクから見てください。
片手袋研究は光合成に近い説
で、こないだ話そうと思ってて、話せなかったことがある。
「片手袋研究は光合成に近い説」だ。
新しい視点を得られるのが楽しくって、ここ最近は植物の本ばっかり乱読している。
『光合成とはなにか―生命システムを支える力』って本を読んでるときに、ピンッときた。
「あ、これ片手袋研究のことじゃん」って。
どういうことなのか。
もちろん光合成ってのは、太陽光のエネルギーをつかって、二酸化炭素と水から炭水化物をつくる行為だ。
人間ふくめて生物が「栄養にできない無機物を、栄養にできる有機物」に変えちゃう。
植物、ヤバい。
光合成のビフォー・アフターで劇的な質の変化が起こってる。
片手袋研究も同じ。
道に落ちてる片手袋は、どれだけ目にとまろうが、普通の人は知的栄養物として摂取できない。ゴミだし、たんに通り過ぎだけの風景だ。
でも、石井さんという知の巨木が、太陽光エネルギーよろしく片手袋を集めると、そこに1つの体系が生まれる。
こうなれば、我々、一般生物も知的栄養物として摂取できる。
これを起点に知的活動がスタートできる。
片手袋研究による、摂取不可能な「道ばたの知的無機物」から摂取可能な「知的栄養物」への変化。
これは光合成に近い、劇的な質の変化だとおもうんです。